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旭川地方裁判所 昭和38年(ワ)376号 判決 1965年5月19日

原告 鳴海敏 外一名 被告 野崎孝雄

主文

被告は原告ら各自に対し、金二四万〇九六三円及びこれに対する昭和三八年一二月八日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

本判決第一項は原告らにおいてそれぞれ金八万円の担保を供することを条件として、仮に執行することができる。

事実

一、原告ら訴訟代理人は、「被告は原告ら各自に対し金二五万円及びこれに対する昭和三八年一二月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び担保を条件とする仮執行宣言を求め、

(請求の原因として)

1、被告は、昭和三七年一二月一三日午後一時二五分頃北海道空知郡上富良野町一ノ二一工藤七郎方付近道路上においてその運転していた小型四輪貨物自動車(登録番号旭西は五四一一)を、原告らの長男鳴海良(昭和三四年八月一六日生れで当時三歳三月半)に衝突させて傷害を与え、同日午後二時五〇分頃死亡するに至らしめた。右事故は、被告において良が同所付近路傍で遊んでいるのを同所の手前で発見していたに拘らず、幼児たる良の動きに注意せずに慢然と高速のまま進行し、良が道路上に出て来た時急停止したが間に合わずに前記自動車を良に衝突せしめたことに因り惹起したものであり、全く被告の過失によるものである。従つて被告は本件事故に因つて良及び原告らの被つた損害を賠償すべきである。なお、被告は、この事故により昭和三八年三月六日罰金四万五〇〇〇円に処せられ、この裁判は同年同月二三日に確定し、また運転停止一〇〇日間の行政処分を受けた。

2、亡良は本件事故の当時満三歳三月半であつたが、厚生省調査発表の生命表に依れば、右年令の男子の平均余命は向後六一年以上である。従て良は本件事故に遭わなかつたとすれば、少くとも満六一歳までは生存して満二〇歳から満六一歳まで勤労できたものであるが、同人に中程度の勤労所得があるものとすると、少くとも満二〇歳以降月一万円、満二五歳以降月一万五〇〇〇円、満三〇歳以降月二万円、満三五歳以降月二万五〇〇〇円、満四五歳以降月三万円の所得を得、そのうち半額を生計費に支出し、その残余を純収入として取得し得たものと云うべく、これが良の将来うべかりし利益であるから、同人は死亡によりこれを失い同額の損害を蒙つた。これの現在価額をホフマン式計算法により中間利息を控除して算出すると、少くとも二〇〇万円となるから良は死亡の際被告に対し同金額の損害賠償請求権を取得したものと云うべきである。而して原告らは良の両親として同人の死亡により各自右金額の二分の一に相当する一〇〇万円の損害賠償請求権を相続したものである。

3、原告らは、その最愛の長男良を本件事故に因つて死亡せしめられたことにより絶大な精神的苦痛を受けた。この苦痛を償うべき慰謝料としては左記事情のほか本件諸般の事情を考慮すると、原告ら各自につき一〇〇万円を以つて相当とするから、原告らは本件事故により各自被告に対して同金額の慰謝料請求権を取得したものである。

原告敏は上富良野町立病院に勤務するレントゲン技師であり、原告弘子は無職であるが、原告ら間の子としては次男剛(昭和三七年一一月四日生)がいるだけである。原告らの生活程度は普通である。他方被告は昭和一四年七月二八日生れで本件事故当時原告敏と同じく上富良野町立病院に勤務しボイラー係をしていたが、現在は上富良野消防署に勤務している。被告は妻子と三人家族で生活程度は普通である。

4、よつて原告らは各自被告に対し前示2の損害賠償請求権、前示3の慰謝料請求権のいずれかの一部として金二五万円及びこれに対する本件事故発生後にして本件訴状が被告に送達された日の翌日たる昭和三八年一二月八日以降その完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

(被告の抗弁に対し)

被告主張の事実中原告敏が保険会社から一四万七八九一円の支払を受けたことは認めるが、その余は否認する。

と陳述した。

二、被告訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、

(答弁として)

原告ら主張の日時場所において、原告ら主張の自動車事故が惹起し、右事故により原告らの長男良が死亡したこと、本件事故により被告が原告ら主張の刑罰ないし行政処分を受けたことは認めるが、本件事故が被告の過失によつて惹起したものであることは否認する。即ち本件事故発生の直前良は道路から六尺ほど離れたところに道路に背を向けて立つていたのであるが、良はたまたまその時同人に声をかけたその母原告弘子の姿を見て母の許に駈けよるべく突然反転して道路上に即ち被告運転の自動車の進路の直前に走り出したため進行中の右自動車に接触したものであつて、被告としては、これを避けることができなかつたものである。仮に被告に過失があつたとしても、本件事故が右のようにして発生したものである以上これについては被害者の行動の過失ないしは被害者の親権者たる原告らに監督義務者としての過失があるから損害賠償額の算定の際この点が斟酌されるべきである。生命侵害によつて被害者本人に生じた損害額を算定するには死亡当時の収入を基準とし、これに労働可能年数を乗じて計算するのが判例であり本件の如く死亡当時収入の全くない者の得べかりし利益喪失による損害計算を認めた例は殆んどない。なお良の死亡によつて同人の養育費が不要になつたのであるから損害額の算定に当つてはこの点を当然考慮すべきである。原告ら主張の慰謝料額は争う。原告らが慰謝料額算定に当つて考慮されるべき事情として主張している事実は、被告の生活程度の点を除いて全部認める。被告は現在月収一万五〇〇〇円で資産はなく、生活程度は普通以下である。

(抗弁として)

原告敏は、自動車損害賠償保障法により保険会社から本件事故による損害賠償金として金一四万七八九一円(これは、応急手当費七五八一円、慰謝料一〇万円(原告ら各自につき五万円)死亡本人の財産損害五万円、葬儀費三万三一〇円計一八万七八九一円の損害額から過失相殺として四万円を控除された残額)の支払を受けた。この際原告らと被告との間に原告らは被告に対し本件事故によるその余の損害賠償請求は一切しない旨の合意が成立した。

と陳述した。

三、証拠<省略>

理由

一、昭和三七年一二月一三日午後一時二五分頃原告ら主張の場所において本件事故が発生し原告らの長男鳴海良が右事故で受けた傷害により同日午後二時五〇分頃死亡した(成立に争のない甲第五号証の供述記載及び同じく甲第八号証の記載によれば、良の死因は頭蓋骨骨折による脳内出血である)ことは当事者間に争がない。

二、そこで本件事故はいかようにして惹起したかについて考察する。

(一)  成立に争のない甲第一号証第一〇号証の各記載、甲第二ないし第七号証の各供述記載、証人工藤栄子、谷津武郎、原告弘子本人被告本人の各供述並びに検証の結果を総合すると、つぎのとおり認められる。

1、本件事故現場は、上富良野町市街地をほぼ東西に走る国道二三七号線から同町町立病院に通ずる同町町道(以下単に道路というときはこの町道を指すものとする)を右国道から一五〇米ばかり南西方向に進んで行つたところである(以下の説示においては右町道を右の方向に進んで行つた場合を基準として前後左右を云々するものとする)。右町道は車道、歩道の区別のない有効幅員四・九米の直線道路で右進行方向に対して僅かな下り勾配をなしている。本件事故現場付近における右町道の左側には、幅員五米ほどの草地帯を隔てて二戸建て四棟の町営住宅が右町道と直角をなして並立しており、右各棟の間には、それぞれ右町道に出るための幅員三米ほどの路地が設けられている。右町営住宅のうち手前から二番目の一棟のうち町道に近い方の一戸が工藤七郎方であり、手前から三番目の一棟のうち町道から遠い方の一戸が原告らの住居である(以下右町営住宅一棟目と二棟目に設けられた路地を工藤方路地と呼び、二棟目と三棟目に設けられた路地を原告ら方路地と呼ぶことにする)。而して本件事故の当時付近一帯に深さ三〇糎ほどの積雪があつたが、右町道は有効幅員三・九米、深さ一〇糎の表面が凍結したような固い雪道になつていて、甚だ滑り易い状態にあり、なおその中央部には深さ五糎ほどの自動車の轍が二条形成されていた。工藤方と町道との間の草地上にも勿論積雪があつたので、工藤方路地上から原告ら方路地上に行くには一旦町道上に出なければならなかつた。なお本件事故当時における右町道上の自動車の交通量は大体二〇分間に一台通る程度であつた。

2、被告は本件事故の当時前記上富良野町立病院のボイラー係をしていたもので(この点当事者間に争がない)、昭和三二年頃自動車の運転免許を取つてから自動車を運転する機会が少く運転に充分習熟していなかつたものであるが、本件事故の当日午後一時過ぎ頃たまたま同病院に来ていた旭川トヨタ自動車販売株式会社の外交販売員佐藤某から同人が乗つていた同会社所有の小型四輪貨物自動車(登録番号旭西は五四一一号、車長四・六九米、車幅一・六九米、車高一・七五米、後車輪に滑り止めチエーン取付、積荷なし)を借用し、これを運転して上富良野町市街地に出て用を達したうえ午後一時二五分頃前記病院に帰るべく、前記町道の中央を時速三〇余粁の速度で進行して来た。当時反対方向から進行して来る対向車はなかつた。そして右自動車が前記工藤方路地の入口から三〇米以上手前の地点まで来た時右路地上その入口から約四米ぐらい前記町営住宅寄りの場所に二人の幼児が、一人は道路に背を向け即ち右住宅の方を向き他の一人は道路の方を向いて向い合つて立つて遊んでいるのを発見した。そのうち道路に背を向けていた一人が良(昭和三四年八月一六日生れで当時三歳三月余、この点は当事者間に争なし、なお良の身長は約八〇糎あつた)であり、今一人は前記工藤方の子である仁(当時約二歳)であつた。被告は良が道路の付近でよく遊んでいる元気で活発な子であることを日頃から知つており同人の動作を見て危いと思つたこともあつたのであるが、その時良は前示のとおり仁と向き合つて道路に背を向けており、良は徐々に後ずさりをしていたが、同人がいきなり道路に走り出して来るような気配ないし周囲の情況なしと判断して右路地の入口から三〇米ぐらい手前で自動車の速度を時速約二五粁(秒速約七米)に減速しただけで良の方を注視しながら直進して行つた。丁度その時良の母原告弘子が買物に行くため原告ら方路地上を前記町道の方に向つて歩いて来たが、良は工藤方路地上のその入口から二米ぐらいの地点まで後ずさりしたとき、工藤方居宅の影から原告ら方路地上に姿を現わした母原告弘子を積雪越しに発見し、原告弘子の許に走り寄るべく、「お母ちやん」と呼びながらくるりと反転して突然道路に、即ち被告の自動車の進路の直前に走り出した。被告は自動車の前端が工藤方路地入口中央の手前五米ぐらいの地点まで来た時(時間にして後示接触の約一・三秒前である)良が右のように突然道路に走り出したのに気付き、あわててブレーキを踏んだが、ふだん自動車の運転をあまりしていなかつたためブレーキを踏むのに少し手間どり(このことは後輪で生じたと思われるスリツプ痕の始点が後示接触地点付近となつていることから窺われ、これによれば被告はブレーキに足をかけていなかつたものと思われる)、又ハンドルも急いで右に切つたのであるが、車輪が雪道で滑り易いうえ前記の轍に嵌つて進んでいたためハンドルの効きが悪るく、そのため自動車がまだ全く減速しないで直進中右路地入口中央地点から自動車前端が四米余り通り過ぎた地点で、道路に出てその左縁近くを前方に走り始めていた良の右背後から自動車の前部左側が良に接触し同人は後頭部を衝撃された。そして右接触のはずみで良の体は前のめりしながら左に半回転したうえ、頭を道路中央の方に向けて倒れたが、その際良は更に前額部を自動車の左側後部(フエンダーと推測される)に強く打ちつけてしまつた。而して自動車は右接触の直後にブレーキとハンドルが効き出し該地点から更に一〇数米進んだ道路右側寄りの地点でようやく停止した。

以上のとおり認められる。

(二)  前示甲第一号証の記載によれば、本件事故現場には事故の際被告運転の自動車が雪道上に刻した長さ一五・二米のスリツプ痕のあつたことが認められ、右自動車の前輪、後輪の各軸間距離を二・五米ないし三米として、右自動車は本件事故の際ブレーキが動き出してから停止するまでの所謂制動距離として少くとも一二米は前進したものと認められ、他方成立に争のない甲第一〇号証の記載によれば、自動車の時速をV粁とし、制動距離をL米とすると、道路が平坦な場合V=15.9×√f×L〔編注:f×Lの平方根〕(但しfは摩擦係数)なる関係式が成立するものであること、そして後輪だけ滑り止めチエーンをつけた自動車が雪道を走る場合の摩擦係数は通例〇・三八とされていることが認められるから若し右関係式を本件の場合に適用できるとすれば、V=15.9×√0.38×12〔編注:0.38×12の平方根〕=33.86…となり、被告はブレーキを踏む直前まで時速三三粁余の速度で走つていたことになる。しかし本件事故現場付近の道路が自動車の進行方向に対して若干の下り勾配を為しているのみならず当時その表面が凍結したように固くなつていたことは既に述べたとおりであつて、本件の場合に前示関係式をそのまま適用することないしはこれを適用するにしても摩擦係数を〇・三八とすることは相当に疑問があり、証人谷津武郎の証言をも併せ考えると、前示関係式を本件の場合に適用した結果をそのまま真実とは為し難いからそれによつて被告が前判示のとおり減速したとの判断を覆すことはできない。なお前示甲第四、第七号証中には、原告弘子が良に声をかけたので良が同原告の許に走り寄ろうとして道路に走り出したのであるかのような被告の供述記載があるが、原告弘子本人の供述によれば同原告は良が道路に走り出す前に良に声をかけた事実はなく右供述記載部分は被告の単なる憶測による供述を記載したもので真実とは合致していないものと認められる。又原告弘子本人は、良が原告弘子の姿を認めて道路に走り出すまで道路の方を向いて立つていたと供述するが、この点は良が道路に走り出した様子から判断して同人はそれまで道路に背を向けていたという被告本人の供述の方が真実と認められるので原告弘子本人の右供述は採用できない。以上のほか前示1、2の認定を動かすに足りる証拠はない。

(三)  思うに、幼児は自動車等の通る道路の付近においても交通の状況に注意せずに行動し、そのため本件のような不測の事故が発生する危険があるのであるから、一般に自動車を運転する者としては、その前方道路に幼児がいる場合は勿論のこと、道路から若干離れているところに幼児がいる場合であつても、道路との距離、幼児の姿勢、動作その他の状況からみて幼児が自動車に接近する虞れがある限り、幼児の動静に注意し、万一幼児が自動車に接近して来てもこれに対処できるように、予め、減速、徐行、停止、回避、警音器使用等その時その場の状況に即応した適切な措置を執つて事故を起こすことのないように注意すべき義務がある。ところで本件の場合被告は良が他の幼児と向い合つて道路から左方四米ほど離れたところに道路に背を向けて立つているのをその三〇米以上手前で発見したので自動車を時速二五粁ぐらいまで減速し、他方良は除々に後ずさりして道路の方に除々に近づいてはいたものの道路に背を向けたままであり、同人がいきなり道路に走り出して来るような気配ないし周囲の情況もないとして被告は良の方を注視しながらそのまま直進して行つたというのであるから、被告が自動車運転者として為すべき注意を一応はしたことは否定できない。しかしながら被告は良が道路の付近でよく遊んでいる元気で活発な子であることを日頃から知つており同人の動作を見て危いと思つたこともあつたというのであるから、仮令良が道路に背を向けていても何かのきつかけでいきなり反転して道路に走り出して来ることも考えなければならなかつたものと云うべきであり、そうだとすれば、道路はブレーキやハンドルの効きの悪るい固くて轍のある雪道でもあつたし、それに被告はふだん自動車を運転する機会が少く運転に充分手慣れてもいなかつたのであるから、良を発見したとき、当時対向して進んで来る車もなかつたのであるから、直ぐに自動車を轍から脱せしめてこれをできるだけ道路右側に寄せ、そしてもつと減速徐行し、いつでもブレーキをかけれるように足をブレーキの上に乗せ軽く警音器でも鳴らして、良に注意しながら進むべきであつたと云わなければならず、これをしなかつた以上被告は自動車運転者としての前示注意義務を充分に尽したものとは云い難い。従つて本件事故発生については被告に過失があるものと云うべきであり、若し被告が右注意義務を尽していたとすれば本件事故は防止できたものと考えられるから、本件事故は被告の過失に因つて惹起したものと云わなければならない。

(四)  被告は、被告としては本件事故は避けることはできなかつたものであるとし、恰も本件事故が不可抗力によるものであつたかの如く主張するが、右主張の採り得ないことは右に説示したところによつて明らかである。

三、右のとおりであるから被告は本件事故で良が死亡したことにより良ないしその父母である原告らの被つた損害を賠償すべき義務を負つたものである。

四、そこで、先ず、亡良が本件事故で死亡したため将来において得べかりし利益を喪失したことによる損害について考察する。

(一)  良が死亡の当時満三歳三月余の男子であつたことは既に述べたとおりであるが、この年令の男子の平均余命が原告ら主張のとおり六一年以上であることは当裁判所に顕著な事実である。而して原告弘子本人の供述によれば、良は健康な男子であつたことが認められるから、同人は若し本件事故に遭わなかつたとすれば、原告主張のとおり、向後なお六一年間即ち満六四歳余になるまで存命し、その間少くとも満二〇歳から満六〇歳に達するまでの四〇年間は何らかの職業に就いて稼働し収入を挙げることができたものと推測される(原告らは良の稼働期間を満六一歳までと主張しているが、右主張は採用しない)。良が存命したとして将来いかなる職業に就いたであろうかを推測することは固より困難である。しかし同人の父原告敏が上富良野町立病院に勤務しているレントゲン技師であつて原告らが中等度の生活をしていること(この点は当事者間に争がない)、原告弘子本人の供述によれば、同人は歳の割に記憶力の勝れている子であつたと認められること等からすれば、良は義務教育は勿論恐らくはそれ以上の教育をも受けてから就職したであろうと推測されるから、同人の就く職業は、少くとも労働の能力と意志を持つて企業に継続して雇傭されている男子労働者(以下これを通常の一般男子労働者という)の得る平均収入と同程度の収入を挙げることのできるものであつたろうと考えられる。ところで、成立に争のない甲第九号証の記載によれば、昭和三七年四月当時鉱業、建設業、製造業、卸小売業、金融保険業、不動産業、運輸通信業、電気ガス水道業を営み一〇人以上の労働者を使用する事業所に勤務する男子労働者の全国平均月額賃金は二〇歳以上二五歳未満の者は一万八三七〇円、二五歳以上三〇歳未満の者は二万四五四一円、三〇歳以上三五歳未満の者は三万〇一六五円、三五歳以上四〇歳未満の者は三万四四六〇円、四〇歳以上五〇歳未満の者は三万八七〇一円、五〇歳以上六〇歳未満の者は三万六九一五円であつたことが認められ、右賃金額は必ずしも通常の男子一般労働者の平均賃金額を示すものとは為し難いが、これと大差はないものと考えられる。そうだとすると、良が将来稼働して挙げ得べかりし収入は、原告ら主張のとおり月平均にして、少くとも二〇歳から二五歳になるまでの五年間は一万円、二五歳から三〇歳になるまでの五年間は一万五〇〇〇円、三〇歳から三五歳になるまでの五年間は二万円、三五歳から四〇歳になるまでの五年間は二万五〇〇〇円、四〇歳から六〇歳になるまでの二〇年間は三万円合計金にして一、一四〇万円に達したものと推測される。他方良は右の収入を挙げるには、前示稼働期間に亘つて自分の生活費を自分で支出しなければならなかつたものと考えられるから同人は本件事故で死亡したことにより右生活費の支出を免れたものと云うべく、従つて同人が前示稼働期間に亘つて得べかりし純収入を算出するには前示収入額から前示稼働期間の生活費を控除しなければならない。而して同人の右生活費を適確に判定すべき証拠はないが、同人の収入額が前示の程度のものであることからすれば、同人が二五歳頃に結婚して世帯主になるものとしても、右生活費としては月平均して同人が二〇歳から三〇歳に達するまでの一〇年間は一万円、その後六〇歳に達するまでの三〇年間は一万五〇〇〇円合計金にして、六六〇万円とみれば、充分と考えられる。従つてこれを前示収入額から控除すると、良が二〇歳から六〇歳までの間稼働して得べかりし純収入は四八〇万円ということになり、これが良が本件事故で死亡したことによつて喪失した将来得べかりし利益の金額である。

(二)  被告は本件の如く生命侵害の被害者が死亡の当時収入の全くない者であるときは将来の得べかりし収入を喪失したことによる損害の計算を認めることはできず判例もそうなつているかのように主張するが、生命侵害の被害者が将来の得べかりし収入を喪失したことによる損害を被つたか否かは、その者が死亡当時収入のある者であつたか否かによつて決まるものではなく、将来収入を得る蓋然性が充分にあつたかどうかによつて決まるのであり、死亡当時に収入のある者は将来も収入を得る蓋然性が極めて高いと考えられるのに対し、死亡当時収入のない者については将来収入を得る蓋然性が充分にあるか否かを当該場合に応じて慎重に検討されなければならないというだけのことであるから被告の右主張は採用できない。最高裁の判例も生命侵害の被害者が幼児の場合でも将来得べかりし利益の算定が可能なことを認めている(最高裁昭和三九年六月二四日第三小法廷判決、最判民集一八巻五号八七四頁)。

(三)  ところで、良が将来の得べかりし利益を失つたことによる損害は現に発生した損害として直ちに賠償請求のできるものと為すべきであるから前示四八〇万円の得べかりし利益につき、ホフマン式計算方法(本件の場合被害者が幼児であつて、将来いかなる収入形態の職業に就くかの予測は困難であるから右計算方法を適用するには、推定稼働期間の全利益をその最終時に取得するものと仮定する)による年五分の割合による五六年八月半の間の中間利息を控除して本件事故の時現在の価額を算出すると(480万円/(1+0.05×56.7))= 125万0847円……)、一二五万八四七円(円未満切捨)となり、良が本件事故で、被つた財産上の損害は、一応右金額ということになる。

(四)  ところで、満三歳三月余の幼児であつた良が、本件事故に遭わなかつたとして二〇歳から六〇歳まで稼働して前示の如き収入を挙げるには、両親たる原告らの養育を受けて成長し、二〇歳になるまでに労働能力を身につけることが不可欠の前提条件であり、従つてそれまでに要する同人の養育費は、同人が前示収入を挙げるための必要出費とみなければならない。しかし右養育費の負担義務者は固より良の両親たる原告らであつて良ではないから、良が本件事故で死亡してその養育費が不要になつたとしても、これを以つて直ちに良の被つた前示損害と損益相殺をすることはできない(前掲最高裁判決参照)。しかしながら若し良が本件事故で生命は侵害されないが将来労働能力を取得することはできないような心身の障害を遺す重傷を受け、将来の稼働によつて得べかりし利益として前判示と同額のものを失つたものと仮定し(これは良の死亡直前の状態として想定することも可能である)、これを本件事故時現在の価額に換算した前判示の一二五万〇八四七円を現に生じた損害としてその賠償請求権を取得したものとすると、右損害賠償請求権ないしその行使によつて取得する金銭等からなる右同額の財産は良の親権者たる原告らが管理し、良が成人に達して原告らが財産管理の計算をする際それまでに右財産から生じた収益(この総価額は前示一二五万〇八四七円に対し本件事故の時から良が満二〇歳に達するまでの一六年八月半の間に生ずる年五分の割合による利息の合計額と考えられる)は、民法第八二八条但し書の規定により、原告らの支出した養育費及び右財産の管理費(これは右養育費に較べれば徴々たるもので無視できるほどのものであろう)と相殺したものとみなされ、良としては原告らに対して右収益の返還請求をすることはできず、これを失うことになる筋合いである(良が成年に達する前に稼働を始めて収入を得、原告らの養育費負担を軽減させ、ないしは免れしめることになつたであろうと推測されるような証拠は本件では全く存しない)。そうだとすれば、良が死亡し向後養育を受けることがなくなつたに拘らず同人が将来稼働して得べかりし利益を本件事故の時現在の価額に換算したものを以つて直ちに同人の被つた純損害と為すことは、同人が若し死亡しなかつたとすれば、成年に達した時に失うことになつたであろう前示収益を、死亡したために失わないことになつたという事実即ち同人に生じた利益(この利益の価額は、前示収益の総価額が良の成人に達すべかりし時点で存在するものと前提し、これをホフマン式計算方法により年五分の割合の中間利息を控除して本件事故の時現在の価額に換算したものに相当すると考えられる)を全く無視することになつて不当であるから(若し右の事実を無視するときは右の利益は、亡良の相続人としてその財産上の地位を承継することになる原告らがそのまま承継することになる)、本件事故によつて良の被つた、財産上の純損害としては、前示の得べかりし利益の本件事故時換算価額から前示収益の喪失を免れたことによる利益の本件事故時換算価額を控除した残額と解するのが相当であり(右の控除は、叙上説示したところによつて明らかのとおり、現に収入のない未成年の被害者についても将来の稼働によつて得べかりし利益の喪失による損害を現に生じたものとして即時にその賠償請求を為すことを認めることから生ずる被害者死亡の場合の被害者に生ずる利益を控除するものであつて、本来の損益相殺とは趣を異にするものであり、これは即時の損害賠償請求を認めることを前提として、右のような未成年者たる被害者が死亡したことを度外視して算出した損害額に対し適正な損害額を見出すため被害者の死亡したことに因る減額修正を施すために行うものである)、これを計算すると、(125万0847円-(125万0847円×0.05×16.7)/(1+0.05×16.7) =125万0847円/(1+0.05×16.7)= 68万1660円……)六八万一六六〇円(円未満切捨)となる。

(五)  被告は本件事故における良の行動の過失を損害賠償額の算定に当り斟酌すべきであると主張するので案ずるに、本件事故がいかにして惹起したかは既に認定のとおりであり、これによれば本件事故は被告の前示適失もさることながら、道路に背を向けて工藤方路地上にいた良が突如として反転して被告運転の自動車の前に走り出したことも原因となつて発生したものであることは明らかである。しかし良は当時僅か三年三月余の幼児であつて右の如き行動がいかに危険であるか、自動車事故に遭わないようにするにはどのように注意すべきかを弁識するに足る知能を未だ具えていなかつたものと認められるから同人の被つた財産上損害の賠償額算定に当り同人の過失を斟酌する余地は存しない。

(六)1  被告は、本件事故発生については良の親権者としてその監督義務者たる原告らに過失があるから右損害賠償額の算定に当りこれを斟酌すべきであると主張するので考えるに、一般に良の如き幼児は道路付近にいても交通状況に注意せずに急に道路に走り出したりし不慮の事故を起す危険があることは、被告の過失を判示する際に述べたとおりであるが、被告本人及び原告弘子本人の各供述によれば、良は極めて元気のよい動作の敏捷活発な子であつて、本件事故に遭う前も本件事故のあつた道路の付近や原告ら方路地ないし工藤方路地の付近でひとりで又は友達と朝から晩まで遊んでいたことが認められ、被告が良の動作を見て危いと思つたこともあるというのであるから、良が本件事故の場合の如く、右路地から道路に勢よく駈け出すことも間々あつたことは推測するに難くない。既に述ベたとおり本件事故の発生した前記道路は自動車の交通量が比較的少かつたのではあるが、それでも一時間に三台ぐらいの割合では通り、それ以外の車馬の通行も勿論あつたことと思われるから、交通の危険についての弁識力ないし事故を防ぐ注意力を充分に具えておらず而も動作の活発であつた良が右のようにして遊んでいた以上本件のような不測の事故が何時いかなる情況で惹起しないとも限らなかつたものと云わなければならない。それ故同人の親権者としてこれを監督すべき原告らとしては、自宅付近の状況、良の年齢からみて同人をひとりで戸外に遊びに出すこと自体は一応よいとしても、同人に対しその都度道路で遊んだり路地から道路にいきなり走り出したりするようなことはどんな場合でも決してしないように、又それがいかに危険であるかを単に口先きだけでなく時折現場について起り得べき危険な状況を具体的に説明し、念には念を入れて言いきかせ、それでも同人が同様のことを、繰返すようであれば同人をひとりでは路地にも出さないようにするだけの注意をすべき義務があつたと云わなければならない。若し原告らが右注意義務を充分に尽していたとすれば、本件事故は発生しなかつたであろうと考えられる。原告弘子本人は、良に対し、「自動車は危いから注意するように、」と口ぐせのように言いきかせていた旨供述するが、仮にそれが真実としても前示のとおり交通の危険についての弁識力ないし事故を防ぐ注意力を充分に具えていなかつた良に対して唯単にそのように抽象的に口で言つてきかせただけでは不充分である。而して良が前示認定の如くにして遊んでいたことからすれば、原告らはこれを放任しているに近かつたものと認めざるを得ないのであつて、原告らは良の監督義務者としての前示注意義務を怠つたものと云わなければならず、従つて原告らには良に対する監督上の過失があつたものと認めなければならない。而して原告らの右監督上の過失は本件事故発生についての被告の前示過失と比較すると、その重さにおいて若干軽るいとは云え左程に大差のあるものとは云い難い。

2  ところで幼児の如く事理を弁識するに足る知能を有しない者が事故の被害者として損害賠償請求権を取得した場合その事故発生につき該幼児の監督義務者たる親権者に該幼児監督上の過失があつたときは、幼児がその監督義務者の過失につき責を負うべき法律上の明文の根拠はないとは云え、民法第七二二条第二項の規定する所謂過失相殺の制度の趣旨とする損害の公平な分担という見地から、同法同条項を類推適用して、被害者の親権者たる監督義務者の右の過失を幼児のための損害賠償額を定めるについて斟酌することができるものと解するを相当とする(かかる解釈は、幼児の親権者は幼児の養育義務を負つているので、事故により幼児が負傷した場合は幼児の養育需要の増大という形で自ら監督上の過失の責を帰せられる関係にあり、幼児死亡の場合はその相続人として加害者に対して損害賠償請求をする立場に立つところから是認し得るのであつて、幼児の監督義務者一般についてその者の監督上の過失を所謂被害者側の過失として右の如き解釈を採ることは許されないものと云うべきである)。そこで本件においても原告らの良に対する前示監督上の過失を斟酌し、被告の賠償すべき損害額は四〇万円を以つて相当と認める。そうとすると、良は被告に対し右金額の損害賠償請求権を取得したことになる。

(七)  而し原告らは良の死亡により同人の直系尊属としてその相続分に従い、各自二〇万円の損害賠償請求権を相続取得したものである。

(八)  原告敏が自動車損害賠償保障法により保険会社から本件事故による損害賠償金として一四万七八九一円の支払を受けたことは原告らの認めるところであり、成立に争のない乙第一号証の記載によれば、右支払は、本件事故によつて原告ら側に生じた良の応急手当費七五八一円、原告らの慰謝料一〇万円(原告ら各自につき五万円)、死亡者本人即ち良の財産上の損害五万円、葬儀費三万〇三一〇円計一八万七八九一円の損害額から過失相殺として四万円を控除したものとして為されたものであり、従つて賠償額の損害額に対する賠償比率は〇・七八七一六<以下省略>となつていることが計算上認められるので、原告敏が右受領金中良の被つた財産上損害の賠償金として受領したものは該損害とされた五万円に右比率を乗じた三万九三五八円と認めるのが相当であり、その半額の一万九六七九円は原告弘子の分を原告敏が原告弘子に代つて受領したものと認むべきこと勿論であるから右受領後の原告ら各自の前示相続取得にかかる損害賠償請求権の残額はいずれも一八万〇三二一円となること計算上明らかである。

(九)  被告は、保険会社からの前記損害賠償金の支払を受けた時原告らとの間に、原告らは本件事故によるその余の損害賠償請求は一切しない旨の合意が成立したと主張するが、これを認めるに足る証拠はなく、右主張は採り得ない。

(一〇)  右のとおりであるから被告は原告ら各自に対し亡良の被つた財産上損害賠償として金一八万〇三二一円の限度で支払を為すべき義務があることになる。

五、そこで進んで原告らの慰謝料請求について判断する。

(一)  原告らが満三歳三月余にもなる長男良を本件事故で卒然として失い、親として甚太な精神的苦痛を受けたことは明らかと云うべきであり、良が前示のとおり記憶力のよい利巧な子であつたとすれば、原告らは良の将来に期待して同人を愛育していたであろうことは容易に推認できるから、この点からしても同人を失つたことによる原告らの悲嘆、哀惜の程は一層深いものがあつたと思われる。されば被告が原告らに対し相当額の慰謝料を支払うべきことは当然である。そこで右慰謝料の額について考察する。原告敏が上富良野町立病院に勤めているレントゲン技師であつて、原告らが中等度の生活をしていることは既に述べたとおりであり、原告らにはその子として亡良のほかに次男剛(昭和三七年一一月四日生)がいるだけであること、他方被告は昭和一四年七月二八日生れで本件事故当時原告敏と同じく上富良野町立病院に勤務しボイラー係をしていたが、現在は上富良野消防署に勤務し、その家族は妻子共三人であること、被告が原告ら主張のとおり本件事故のため罰金刑ないし運転停止の行政処分を受けたことは当事者間に争いなく、更に前示甲第四、第五、第七号証の各供述記載及び被告本人の供述によれば、被告は本件事故後一〇日ぐらいの間弔意ないし陳謝の意を表するため毎日のように原告ら方を訪れその間見舞金として金五万円を原告らに贈つたこと、被告の本職はボイラー技師であり、上富良野町では前記病院しかボイラー技師としての職場はないのであるが、本件事故を起したため原告敏が勤めている前記病院には勤め辛らくなつて前示のとおり勤め先を替えて本職外の消防職員をしていること、被告の収入は月額二万円前後であることがそれぞれ認められること、それに前認定の如き本件事故発生の状況及び原告らに存した亡良に対する監督上の過失(この過失は、原告ら自身に生じた権利として請求する慰謝料の相当額を算定する今の場合、既に認定の良に生じた財産上損害の賠償額を定める場合よりも当然大きく斟酌される)、その他本件諸般の事情を総合考慮すると、被告の支払うべき慰謝料額としては原告ら各自につき金一〇万円を以つて相当と認める。

(二)  しかし前記四の(八)で判示したところによれは、原告敏が保険会社から本件事故による損害賠償金として支払を受けた前示一四万七八九一円の中には、過失相殺前の慰謝料相当額とされた一〇万円に前示賠償比率〇・七八七一六を乗じた七万八七一六円(原告ら各自につき三万九三五八円)だけ慰謝料が含まれていたものと認めるを相当とするから前段判示の相当慰謝料額からこれを控除しなければならず、控除後の残額が原告ら各自につき、六万〇六四二円となることは計算上明らかである。

(三)  原告らが保険会社から前示金員の支払を受けたとき被告との間にその余の損害賠償請求は一切しない旨の合意をしたことの認められないことは既に述べたとおりである。

(四)  右のとおりとすると、被告は原告ら各自に対し、慰謝料として、六万〇六四二円の限度で支払を為すべき義務があることになる。

六、以上のとおりであるから原告らの本訴請求は、原告ら各自が被告に対し同人の前示財産上損害賠償金一八万〇三二一円及び慰謝料六万〇六四二円の各支払義務の履行としてその合計金二四万〇九六三円並びにこれに対する右各義務の発生した本件事故の時の後にして本件訴状が被告に送達になつた日の翌日であること記録上明らかな昭和三八年一二月八日から右完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但し書、第八九条、仮執行の宣言について同法第一九六条第一、第四項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎富哉 近藤浩武 井関正裕)

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